長岡ゆりと主宰する舞踏カンパニーDance Mediumの紹介とニュース
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新作ソロ「Powder Blue」昨日終了しました。劇場に足を運んで下さった皆様、スタッフの皆様ありがとうございました。
この作品をさらに改良発展させてゆこうと思います。こうして一つ作品が生れ出て、成長してゆくのが楽しみでもあります。劇場空間によって構成や踊りに大幅に変更があり、タイトルまで変わってしまうので、もはや同じ作品とは思えないものにもなり得ますが、一つの足がかりを与えて下さった劇場の方々キュレータの方々に感謝します。
ありがとうございました!
今回言葉を発しながら踊るというのを試みたのですが、フランス語を混ぜていたら、フランス在住の照明家のMさんが、「空耳かと思った」と言ったのが笑えました。
これを例えばメキシコで踊ったらスペイン語を混ぜることになり、メキシコ人に「空耳かと思った」と言われるのかなあ(笑)。
以下は、見て下さった方の感想です。
●今夜(9/27土)はその友人の舞台を見た。踊りの舞台だが、わたしは生きているのか死んでるのかわからない…という台詞を繰り返す彼女は、十年か二十年位前に死んじゃってるのに死んだという自覚もなく行き場もない女の人のため息が変じたものみたいだった。
十年来容姿が変わらぬこの友は、踊る時どこかにぽっちり赤を纏う事が多い。元々綺麗なかわいい人だが、赤が、妖艶で切ない灯をともす。今夜の赤は、初めに撒いた枕の羽の白と繋がるもののようであった。情念とは底の方に外見的には反対のように見える虚無がありどんなに燃えさかってもいつかは燃え尽き滅するもの…と、何かの本で読んだが、消えずに透過し白くなる情念もあるのではないだろうか?…重さのない白はもはや情念とは呼ばれぬものだろうけれど。
今夜の白は、痛みある生の赤がたどり着いたやさしさのようであった。
後半昨夜の風の名残が押し寄せたように、風が吹いた。
以前何度か見た馬鹿!馬鹿!と頭を叩くような仕草がジャンプに変わったかと感じたシーンが、好き。
乾いた木の根っこみたく転がされ終わったが、礼をしてから友人は、今度はへなちょこ女ボクサーになり、ぼろっちいパンチばかり出しては案の定ノックされ、情けない顔でまたヨタヨタと立ち上がる…という一場を加えた。弱さを隠さず表すことで生きる事に誠実にあろうとする彼女が見えた。言葉の提出やこの締めくくりは、作品をわかりやすくしているとは言えるが、わかりやすいがつまらないにはならず、素直に共感できたいい舞台だった…。
●闇=光を兼ね抱え持つ肉体の苦悩の美しさを、たっぷり見せてもらいました。ありがとうございました。
●お疲れさまでした。
死者であったのだと思い、最後に死者であってもよいのではないかと、コミカルな明るい動きで思いました。ありがとうございました。
静と死とが二公演ともテーマなのか、生が背後にあるが、と
生きた人間が動いてるのに不思議な気がしました。
●長岡さんの、冒頭の重さの抜けた歩行が感動的でした。「私は生きているのか」という言葉との対比も面白かったです。生きている訳がないという感じが出ていました。
痙攣する老婆も良かったです。いとおしさを感じました。
ともあれ、なんとなくホームレスの悲しさのようなものが漂っていました。
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