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長岡ゆり Yuri Nagaoka Dance Medium

長岡ゆりと主宰する舞踏カンパニーDance Mediumの紹介とニュース

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私なりの舞踏論

海外では特によく聞かれるのが、「舞踏とは何か?」という質問。
私は、禅問答を思い浮かべる。性急に自分の意見を述べればそこで分かったような気になって終わってしまう。限定したらそれは既に舞踏ではないと。
舞踏が永遠に面白く思われるのはそういう点においてである。
土方さんがそのような方法で文章を残したのだろうと私は推測する。分かったと思った瞬間に消滅し、変異するのが舞踏だと私は理解している。どちらにしても、頭が自分の考えでいっぱいになっているようでは舞踏なんてできないと。
舞踏論という言い方には抵抗があり、本来は、個人的であると認識して、「私の舞踏論」と言い換えるべきであろうと思う。人それぞれの舞踏論ということでよいのではないかと。
評論家の考える舞踏論、舞踏家の考える舞踏論、違って当然である。実際体で体験して気づくものと、頭で分析するものとは似て非なるものであるからだ。舞踏とは、体験の、体の哲学だからだ。
うちのワークショップに来て、結構きつい肉体訓練をやるので、舞踏なのになんでこんなことやるんですかとか聞く人がたまーにいるが、重い体、思いのこもった頭と体で舞踏できないよと思う。
空になるところから始まるんだよね。
しかも、踊りであることは事実だし、全ては重層的なのだ。別に身体能力が優れてるからよい舞踏家とは言えないし、逆もまたしかり。まず自分がどれだけ体と魂をかけられるかということ。屁理屈言って言い訳してるうちはダメ。

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