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長岡ゆり Yuri Nagaoka Dance Medium

長岡ゆりと主宰する舞踏カンパニーDance Mediumの紹介とニュース

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ワークショップの内容について

ワークショップは、二つのパートに分かれていて、まず骨や筋肉の為の基礎的な身体トレーニングを行い、その後、知覚を元にした、舞踏のトレーニングを行っている。基礎トレーニングが必要な理由としては、体を柔軟にし、怪我を防ぐとともに、体に対する感性を目覚めさせてゆくことによって、観念の中に入り込んで、体がやっているような気分にだけなってしまうという危険を回避するためである。

■基礎トレーニング
ヨガ、バレエ、野口体操等を応用した独自のトレーニング。緊張と弛緩、ジャンプ、回転、足腰の強化、背骨に対する意識、等。

■舞踏トレーニング
一般に、人々は舞踏と言うと、理解しがたいという印象を持っているようであるが、このワークショップは、日常の普通の知覚(熱い、痛い、誰かに見られている等)を元にしているため、すんなりはいれると思う。このような知覚を使って、自分の動きを発見し、それを独自の表現へと発展させていくことが目的である。

舞踏というものを知りたいと思うならば、まず自分の体で体験してみる事が一番である。そこには決まった形がなく、一人ずつ異なる自分自身の動きがある。日常生活における普通の知覚を使って、日常生活からさらに深い世界に入ってゆくのである。そのためにまず必要なことは、自意識の壁を乗り越え、体を空っぽにすることだ。つまり、自分で意識的に動くのでなく、何ものかに動かされている感覚を保つ事が大切なのである。
なぜこのように空っぽの体を持とうとすることが大切なのか?
例えば、画家が真っ白なカンバスに絵を描くとき、媒体としてのカンバスは、画家の体の外にある。しかし、私達ダンサーにとっては、自分の体で表現をするので、主体と客体は同一である。もしも私達が感情や理性など個人的なものを抱えているならば、すでに自分自身の色を決めてとりかかることになる。つまりあらゆる色を変幻自在に身に纏うことが難しくなる。そういった理由から、私は、まず色のない状態にコンディションをもってゆくことが必要であると思うのだ。そして、私達が空っぽの体を手に入れれば、私達は何ものにもなれる自由を得る事ができると思うのである。
それでは、私達は理性をなくすべきなのか?いや、そうではない。
自分自身を外側から見つめる目を持つ事が必要である。空っぽの体を持つ事によって、自分自身の体を見る事ができるのだ。例えば、突然の驚きによってそこから逃げようとする時、体は本能的に反応する。このような動きは、社会によって訓練された習慣的なものではなく、真実の感情からのものである。

このワークショップでは、空っぽの体になるための様々な方法を紹介する。

■歩行  線香の歩行、植物の歩行、
■虫食い 体中を這い回る虫の知覚を使った稽古
■光と闇
■くらげ 海に浮かび、常に形を変化させる体
■植物  一本の草から、森の樹になる
■牛  闘牛場の闘牛
etc......

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